新世紀エヴァンゲリオン
旧劇について
エヴァの旧劇でサードインパクトが怒った後、シンジの意志によって黒き月は消滅し、
補完は失敗したような描写があるのですがこのように考えて正解ですか?
また、黒き月が消滅し人々の魂が帰還したと思われるのになぜ劇場版の最後はシンジとアスカしかいなかったのでしょうか?
質問者様の考えの通り、「神に等しい存在」の自我となったシンジは、当初はカヲルを殺した絶望、アスカを助けられなかった絶望、理解不能な状況へのパニックなどから、補完を望み、反ATフィールドを展開しました。
しかし最終的にシンジはすべてが溶けてひとつになる世界ではなく、他人のいる元の世界を望みました。
その願いに応えてリリスは、自らの肉体と黒き月とを崩壊させ、集まった魂を解放。「神に等しい存在」の自我たるシンジは願いのままに自分の体と心を取り戻しました。
これによりゼーレの悲願であった補完は失敗に至っています。
アスカはもともと補完に抵抗する意思が残っていたのと、シンジがイメージした「他人」の代表的な存在だったため、姿を取り戻すに至ったものを考えられます。
この点でよく「エヴァに乗っていたため補完されなかった」という見方が示されますが、アスカは他の死者と同様、サード・インパクトが始まるよりも前にシンジの心の中に現れている(ミサトの家でのシンジとのやりとりと首絞め)ことから、量産機との戦いで死亡し、いち早く補完されていることが判ります。
他の人々についてですが、新劇場版の製作総指揮の大月俊倫氏は「(旧)劇場版は世界が破滅して、シンジとアスカだけ生き残るという破滅的な形で終わりました」と発言しています。
また『魂のルフラン』を作詞した及川眠子氏によると、打ち合わせの時に「みんな死んじゃうんですか?」「次が出来ないように殺しちゃうんです」という庵野監督とのやりとりがあったとのこと。
一方で、他の人類が絶滅だとすると、リリスの「自らの形を自分自身でイメージできれば、誰もがヒトの形に戻れるわ戻れるわ」という言葉と、ユイの「心配ないわよ。全ての生命には復元しようをする力があるの。生きてこうとする心がある」という言葉が、何の意味もない慰めだったことになりますね。
エヴァの製作陣は『スキゾ・パラノ』や『新世紀エヴァンゲリオン2』など、様々な「公式監修」とされる資料の中で、本編や資料同士で矛盾する発言している“前科”もありますので、他の人類がどうなるかについては、各々が考え解釈したものが尊重されるべきものだと思います。
私個人としては、他の人々も徐々にATフィールドを取り戻し、肉体を取り戻して再生を果たすものと考えています。
補足についてですが、作中を通して始祖たるリリスやアダムは、アダムの魂を宿したカヲルが「君ら(人類)は死すべき存在ではない」と述べたのを除いて、自分の意思で星に住む生命の未来を決定しようとしたことはありません。
あくまでその未来を決定する立場(神)にたった子の、決断を見守り実現するだけの存在です。
「神に等しい存在」というのは、アダムやリリス(=神)と同等の力を持つ存在になったということです。
ゼーレにとって補完に必要なのは初号機のみで、パイロットは殺害予定であったこと(殺しそこねた場合の保険がカヲルの殺害と弐号機の屠殺による絶望の付与)。また「リリスによる補完はできぬ」「アダムや使徒の力は借りぬ」といった発言から、アダムとリリスの融合体が現れてシンジの願いを叶えるようとすることは、ゼーレの本来の計画上にはなかったと考えられます。
初号機+量産機の計10体のエヴァから成る「神に等しい存在」のみで、サード・インパクトは起こせたということです。
作中を追って見ると、まず巨大綾波が現れた直後に「リリスと同化を始めたか」「リリスからの反ATフィールドが増大」という発言、シンジがミサトやアスカの魂と触れ合ったあとに「反ATフィールドが臨界点を突破」という言葉があり、これらの反ATフィールドはリリス(+アダム)が発していることが判ります。ただ、そのトリガーになっているのはあくまでも「神に等しい存在」の自我となったシンジです。
またサード・インパクト自体は、シンジのストレスが極限に達するのに合わせ、量産機が自らの肉体をロンギヌスの槍で貫くことで起こりました。これはリリス(+アダム)ではなく「神に等しい存在」が展開した反ATフィールドです。
よってサードインパクトの原因は初号機+量産機によるもので、リリス(+アダム)はその結果を受け入れたのみと言えますね。
絵的には少々血なまぐさいですが、自分の中の衝動を他人に伝えることを知り、また伝えたい他人を得たシンジにとって、そして今度こそシンジが自分のことを特別な他人として見てくれるようになったアスカにとっては、ハッピーエンドと言えるかもしれません。
心からの思い(まごころ)をありのまま、「誰でもいいから」ではなく大事な他人(君)に伝えること。それがサブタイトルである『まごころを、君に』の意味でもあるのだと思います。
その通りです、補完計画はシンジが生きることを望み、シンジが肉体を再び手に入れた時点でゼーレの計画は失敗に終わっています。
シンジは生きることに絶望し、デストルドー(死にたいと思う心)を発生させます、その願いを叶えるためにレイ(リリス)はアンチATフィールドを発生させ、人々のATフィールドを消滅させます。 ATフィールドとは心の壁です、アスカはATフィールドを失いL.C.L.になりました、そしてリリスが崩壊し補完が失敗します。シンジは自分が他人がいる世界を望んだ張本人なので再びATフィールドを手に入れ、復活します。アスカは人一倍自意識が強く補完を拒絶していたことからATフィールドを取り戻すことは簡単だったと考えられます。
時間はかかるでしょうが他の人々も徐々にATフィールドを取り戻すと思います。
ちなみに新劇場版の月のシーンで旧劇場版で飛び散ったリリスの血があります。他にも新劇場版が旧劇場版から繋がっていると伏線はたくさんあります。
補足・・・サードインパクトの原因はリリス(レイ)がアンチATフィールドを発生させて人類をL.C.L.にしジオフロントを本来の形(黒き月)にしたためです。 ではなぜレイがアンチATフィールドを発生させたのでしょうか?それはシンジが補完を望みその願いをレイが叶えたからです。ゲンドウの計画では作中のシンジの立場になり、ユイに逢おうとしていると考えられます。
カヲルを送り、シンジと仲良くなりそして裏切ることやシンジの目の前で弐号機の無残な姿を見せたのは実はゼーレの思惑なのです。そうすればシンジは補完を望みますからね。 元々ゼーレは違う形で補完をするつもりでしたが、ゲンドウが裏切りロンギヌスの槍が宇宙へ行ってしまったことで計画変更となりました。
最後シンジは他人がいる世界を望んだのでハッピーエンドだと思います。
はい、シンジの意思によって人類補完計画は失敗し、黒き月はなくなりました。
なおあくまでも戻る意思のある人だけが戻れる、ということになってます。
旧劇場版直後にはシンジと他人(特にシンジ)と融合したくないアスカが戻ってきました。
そのほかの人がどうなったかは不明ですが、スタッフ(?)によると誰も戻ってこなかったそうです。
補足についてですが、アダムを取り込んだりリリスが生命の樹のコアとなっている初号機パイロットの絶望を感じ取り、アンチATフィールドを発生させました。
量産機はそれに共鳴して増幅させていっています。
あと旧劇の結末ですが、正直見終わった後は後味が悪かったので、個人的にバッドエンドです。
でも、このあたりは人によってさまざまな解釈があると思います。
質問者さんのおっしゃるように補完は失敗したと考えて良いでしょう。
補完された人々が元の形に戻るには少し時間がかかると言われていたので、あの時点で元に戻れたのがシンジとアスカだけだったのだと思います。
シンジとアスカが他の人より早く元に戻れたのは、エヴァに乗っていたことと二人が他の人類と一つになろうとしなかったためです。
サードインパクト時に二人がエヴァに乗っていたことで、二人はアンチATフィールドからの干渉を受けづらかったはずです。
また、シンジは明確に補完されることを拒んだ描写があり、アスカは間接的にですがシンジと一つになることを最後まで拒み続けていた描写があります。
この2つの要素から、他の人が元に戻れていない時に二人だけは人間の形に戻れたのでしょう。
正解かどうかわかりませんがサードインパクトが起こった後
シンジとアスカ以外は、全員滅亡してしまいました。
その後どうなったかは、わかりません。
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